顧客が広告費を肩代わりする時代に、経営者が測るべき指標(CEOブログ)
「ロイヤルカスタマー」の定義をもう一段深く見直す
自社のロイヤルカスタマーをNPS(顧客推奨度)や継続率で管理している経営者は多いと思います。ですが、日本と韓国のエンターテインメント業界では、ロイヤルカスタマー(ファン)が自腹で広告を出稿し、販売実績や人気の指標を自ら押し上げる動きが、すでに数百億円規模の経済圏になっています。
これは芸能界だけの珍しい話ではなく、顧客が企業の販促機能そのものを肩代わりする現象の先行事例として、業種を問わず参考になる論点を含んでいると私は考えています。
「応援広告」という現象を一般化する
日本のエンタメ業界では、熱心なファンが対象タレントの誕生日などに合わせ、自費で駅や街頭の広告枠を買い、お祝いメッセージを掲出する「応援広告(韓国語源でセンイル広告とも呼ばれる)」という活動が広がっています。
これを一般化すると、「顧客が自主的に自社ブランドの広告主になり、広告費・制作費・拡散の手間まで負担する現象」と定義できます。BtoB SaaSでいえばパワーユーザーが勝手にウェビナーを開いて自社製品を紹介する動き、消費財でいえば愛用者コミュニティが自主的にポップアップイベントを開く動きに近い形で、顧客ロイヤルティが企業のマーケティング予算を代替する現象として捉え直せます。
数字で見る「顧客資本化」の規模
株式会社ジェイアール東日本企画が運営する応援広告事務局「Cheering AD」が2026年3月12日に公表した調査(全国22,009人対象)によると、この応援広告のポテンシャル市場は前年比約1.6倍の1,283億円に達しました。ファン1人あたりが年間に投じてよいと考える金額は2.7万円から3.4万円に増え、これは国内の交通・屋外広告市場(電通調べ、4,778億円)の26.9%に相当します。
さらに、ロイヤルカスタマーである層は新しい挑戦に取り組む比率が一般層の2.2倍(58.9%対26.6%)、追加消費に踏み切る比率も83.5%と高く、顧客が自ら顧客生涯価値(LTV)を積み増していく構図が定量的に確認できます。
自社の熱心な顧客が、広告費をかけずにどれだけの販促機能を代行してくれているか。これを金額換算していない経営者は、自社の顧客獲得コスト(CAC)を実態より高く見積もっている可能性があります。
KPI操作リスクとバリュエーションの歪み
一方で、この現象には成果指標の信頼性という経営リスクが伴います。
音楽チャートを運営するBillboardは2026年1月17日付で、ストリーミング再生数をアルバム売上に換算するルールを変更しました。有料会員の再生1,250回で1枚と数えていた基準を1,000回に、広告付き無料再生は3,750回から2,500回に引き下げ、有料と無料の重み比率を1対3から1対2.5に変更したのです。
これに対しYouTubeは「集計方式が実態を反映していない」として2026年1月16日付でBillboardへのデータ提供自体を停止しました。10年以上続いた提携が、指標の重み付けを巡って解消されたことになります。
自社の主要KPIが、特定の顧客層や特定チャネルの行動によって人為的に動かせる仕組みになっていないかどうかは、上場企業であれば決算説明資料の信頼性に、非上場企業であればM&Aの買い手が実施するデューデリジェンス(DD)で必ず突かれる論点です。指標そのものが操作対象になり得るという前提を欠いたKPIの組み立て方は、バリュエーションを歪める土台になります。

チャネル・ダンピングと在庫リスクの経営教訓
音楽業界ではCD(音楽ソフト)に握手会参加券や投票券、ランダム封入の会員証(トレーディングカードに近い販促物)を付け、同一顧客に複数購入させる販売手法が定着しています。日本のランキング機関オリコンは2017年9月8日、この販促イベント経由の売上について、購入者数に対する換算枚数の上限を「2枚」から「3枚」に引き上げるルール改定を行いました。2017年度上半期の時点で、販促イベント経由の売上が主要商品カテゴリの31.5%を占めていたためです。
同じ年の10月には、投票権目的で大量購入されたCD585枚が福岡県内の山中に不法投棄され、購入者が書類送検される事件も起きています。これは、販促インセンティブの組み方次第で「売れているように見える需要」が作られ、その反動として在庫廃棄という損失が顧客側に転嫁される典型例です。
販売奨励金やインセンティブ制度をつくる際、実需との乖離が広がるほど、チャネル・ダンピング(過剰な押し込み販売)と同種の収益認識リスクを抱えることになります。
ESG・サプライチェーンの負債化
隣国のK-POP産業では、この販売手法がさらに大きな規模で環境負債に転化しています。
Reutersが2024年11月21日に報じたところでは、韓国の物理アルバム販売枚数は2023年に1億1,900万枚を超え、過去3年でほぼ3倍に増加しました。韓国環境部のデータによると、K-POP事務所が使用するプラスチックの量は2022年に約800トンに達し、2017年比で14倍です。これに対し環境NGO「Kpop4planet」は、未使用アルバム8,000枚以上を回収して事務所に送り返すキャンペーンを展開し、2024年9月の抗議活動を経て販売手法の見直しを求める署名は1万人を超えました。
プラスチック包装や過剰梱包を伴う販売奨励策は、消費財・アパレル・化粧品など業種を問わず、Scope3(サプライチェーン全体の排出量)や廃棄物規制の強化に伴い、将来の負債として顕在化するリスクを抱えています。ロイヤルカスタマー施策のつくり方が、知らぬ間にESGリスクを積み上げていないか、点検する価値があります。
のれん評価とデューデリジェンスへの示唆
M&Aの実務に引き寄せると、ファンダムのような熱心な顧客基盤は、買収時ののれん(超過収益力)の一部として説明されることが少なくありません。ですが、その支持基盤がSNS運用担当者個人のノウハウや、特定の販促キャンペーン手法に依存している場合、経営統合(PMI)の過程で担当者が離脱したり、施策を見直したりした瞬間に熱量が失われるリスクがあります。
買収後にロイヤルカスタマー起点の売上が急減し、のれんの減損処理に至るケースは、エンタメ業界に限らずD2Cブランドや会員制ビジネスでも起こり得ます。DDの段階で「顧客ロイヤルティの何割が属人的な運用に依存しているか」「主要KPIは第三者が検証可能な仕組みか」を確認する項目を持っているかどうかが、買収後の減損リスクを左右します。

Best/Worst/Most Likely
Bestケースは、ロイヤルカスタマーの自主的な広告・拡散行動を可視化し、ガイドラインとインセンティブの組み方で健全に誘導しながら、LTVと無形資産価値を持続的に積み上げる展開です。
Worstケースは、KPI操作への依存が投資家や取引先に発覚して信頼を失い、同時にESGリスクが規制強化や不買運動に発展してブランド毀損が起き、加えて施策が属人化していたために担当者の離脱でロイヤルティ基盤ごと失われる、複数のリスクが同時に顕在化する展開です。
Most Likelyは、一部の先進的な企業がガイドライン整備や指標の多元化に着手する一方、大多数の企業は短期の売上を優先するやり方を続け、断続的な炎上や環境批判にさらされながらも抜本的な見直しには踏み切らない、という中間的な展開になると私は見ています。
リスクの指摘
濃いロイヤルカスタマーへの依存度を定量化する指標を持たない経営者は、需要の実態を把握できないまま自社のブランド価値を過大評価するリスクを抱えています。
売上や再生数、来店頻度といった指標が、少数の熱心な顧客の集中的な行動によってかさ上げされているのか、幅広い顧客層に自然に浸透した結果なのかを見分けられなければ、新規顧客獲得への投資判断も、M&Aの際の買収価格の妥当性判断も、根拠を欠いたものになります。
読者自身の会社で明日から検討できる論点
自社のロイヤルカスタマーが無償で担っている広告的機能を金額換算できているか。
主要KPIが特定の顧客層やチャネルの行動で人為的に動かせる仕組みになっていないか。
販促インセンティブが実需との乖離を広げ、チャネル・ダンピングに近い状態を作っていないか。
顧客ロイヤルティ施策がESGリスクや将来の廃棄物負債を積み上げていないか。
M&Aやのれん評価の場面で、顧客基盤の持続可能性と属人化リスクを検証する項目を持っているか。
この5点は、業種を問わず今週中に確認できる経営課題だと思います。


