推しは「人」である必要があるのか〜AIが問い直すエンタメの本質(CEOブログ)

あなたが好きなのは、その作品か。それとも、それを作った「人」か。
この問いに即答できないなら、あなたはすでに、現代エンタメ産業が巧みに設計した罠の中にいる。

「曲」より「人」を売れ

エンタメの世界にある根本的な問題。それは傑作は毎度作れないということ。
どれほど才能ある音楽家でも、毎回ヒット曲を保証することはできない。毎回ゼロからマーケティングコストをかけて作品を売り出すのも非効率だ。そこで業界が編み出した解答が「人を売る」戦略だった。

巷間言われるとおり、まさにビートルズはその完成形だった。4人の個性、関係性、成長の物語。それ自体をコンテンツにすることで、ファンは「次の曲」を待ち続ける熱狂的な消費者になった。作品への愛が、人への愛に転化された瞬間、エンタメビジネスは劇的に安定する。

日本ではこの戦略が、さらに文化的な土壌と融合した。職人やアーティストの個性を尊ぶ国民性もあって、「宮崎駿の新作」という一言が、どんな広告コピーよりも強力なマーケティングになる。ジブリブランドのコア・コンピタンスは、スタジオではなく一人の人間だ。

しかしそれは同時に、致命的なリスクでもある。宮崎駿がいなくなれば、ジブリは揺らぐ。ヒットが暗黙知と個人の才能に縛られている限り、そのビジネスは永遠に脆い。

キャラクターから「個性」が消えていく理由

「人を売れ」という文脈では、さらにその後の、あるもう一つの変化にも気づいている人はどれくらいいるだろうか。
かつての漫画やドラマには、主役を張れる美男美女だけではない多様な主要キャラクターたちがいた。キレンジャー的な食いしん坊のムードメーカー、眼鏡のガリ勉、不器用な武闘派——そういった「リアルな人間臭さ」がフィクションの世界に奥行きを与えていた。

音楽ユニットも然り。玄人ウケするサブキャラや愛すべき面白キャラが、グループとしてのバランスを保つために必要と思われていた。

ところが最近の傾向はどうか。主な登場人物、メンバーのほぼ全員が「誰かのための主役を張れるペルソナ設定の(美男美女の)バリエーション」となっている。しかも、人数は増えるいっぽうだ。

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今風アイドルとおじさん

これは偶然ではなく、意図的な最適化だ。キャラクター自体をビジネスの核に直結させようとすれば、憧れを喚起できる設定が最も効率的なのだ。グッズが売れる、コラボが成立する、ファンが「なりたい」と思える——そういうビジネス的合理性が、キャラクターの多様性を削ぎ落としてきている。もしくは言い方を変えると、無駄なモブキャラの登場を減らしている。
フィクションの中のキャラクターでさえ、「売れる人間」でなければ生き残れない時代になった。

ピクサーと中国ゲームが証明する「脱・属人化」

一方で、日本と比較した場合、ここしばらくのアメリカと中国のエンタメ産業の一部は、異なる方向へと進化している。

例えば、ピクサーは、創業の立役者であるジョン・ラセターが去った後も、安定してヒット作を生み出し続けている。また、中国のゲーム産業は、マーケティングデータと開発プロセスを徹底的に構造化し、「天才一人に依存しない」体制を整えてきた。

マーケティング面ではセレブやインフルエンサーの(つまり、属人的)影響力は絶大な両国ではあるが、それでも中国のプラットフォームはアルゴリズムにより、その影響力をコントロールすることにも成功している。


「人」ではなく「仕組み」でヒットを再現する。
これがビジネス継続性という観点では、圧倒的に優れたモデルだ。属人的な才能は代替不可能だが、システムは引き継げる。スケールできる。売れる。

VTuberという、奇妙で斬新な発明

そんな流れの中で、日本発のVTuberという現象は、実に興味深い第三の道を示している。

二次元のアニメキャラクターが画面に映り、その声と言葉を「中の人」と呼ばれる、単体では人気スターというわけでもない声優やタレントが担う。本来の設計では、中の人はあくまで縁の下の存在のはずだった。ところがファンは、キャラクターの外見と中の人の声・話し方・人格が溶け合うその曖昧な領域を熱狂的に楽しんでいるようにみえる。

これはよく考えると、めちゃくちゃファジーな構造だ。「推しているのはキャラか、中の人か」という問いに、熱心なファン自身もうまく答えられないのではないか?

しかし、この曖昧さこそが、VTuberの本質かもしれない。二次元という盛れる「保護フィルター」を纏いながら、ビートルズ的な「人を売る」熱狂を再現している。属人性を隠しつつ、属人性で稼ぐ。実に巧妙な二重構造だ。

同時に、本来IPホルダーでありながらも、パーツである「中の人」次第で人気IPを喪失してしまうリスク、厄介なマネージメントも引き継がれてしまっており、後世、エンタメ史を語るうえで、実に興味深い発明と位置付けられるであろう。

反AI運動が「アメリカで」先に起きた理由

2023年、ハリウッドの脚本家と俳優たちが、AIへの抵抗を掲げて大規模ストライキを起こした。なぜ、日本ではなく、本家アメリカで先に火がついたのか。

それは、アメリカのエンタメ産業がすでに「人を交換可能な部品」として扱う方向へ進んでいたからだ。属人性を排除してシステム化するビジネスモデルが進めば進むほど、AIによる代替は、直ちに現実の脅威となる。

逆説的だが、「人を大切にしてこなかった産業」ほど、AIに怯える。
ハリウッドスターの多くが俳優にとどまらず、プロデューサーや製作者として多角化を図っているのも、演者という立場の不安定さへの自覚の表れだろう。

AIが静かに閉じる「次世代への扉」

なにはともあれ、AIは登場した。
すでに、コンテンツの制作者としてだけでなく、マーケティングの影の司令塔としても機能し始めている。制作から宣伝まですべてをAIに委ねるビジネスモデルが普及するのは、間違いない。予測不可能なのは、いつそうなるのかという時間軸だけであろう。

実は、すでに確固たるブランドを持つセレブリティにとって、AIは寝ている間も稼いでくれる究極の装置となる。自分の声、顔、スタイルをライセンスし、AIがコンテンツを量産する、夢のような話が現実になりつつある。
が、しかし一方、若手・中堅クリエイターとその予備軍には、残酷な現実が待っている。

かつては「下積みを経て、人として認められ、スターになる」という鉄板ルートがあり、ビートルズも、宮崎駿も、そのプロセスを経てきた。だがもはや、クリエイターには下積み生活を送る場すら提供されることはなくなる。

あらゆるコンテンツ領域で、ユニークにAIを使いこなすことができる天才的な存在か、
VTuberとは逆に、AI成果物を作ったていの作者アイコンとして、チームの中でライブイベント等で外部と向き合う役割を担う「中の人」ならぬ「外の人」としての役者に近い存在、
そのどちらかが、次世代にクリエイターと言われる人たちになるのであろうか。



次のビートルズが生まれる場所が、消えようとしているようにみえる。それが損失なのか、進化なのか…答えはまだ、誰も持っていない