(経営者列伝シリーズ〜花王)「創業者」長瀬富郎の品質保証 ・広告戦略 / 「中興の祖」丸田芳郎の近代的システム統治。そして、現在へ。 (CEOブログ)

「成功の方程式」は、次の時代には毒になる

noteでは、標題の2人の大経営者についての想いを書き連ねさせていただきました!
https://note.com/commodvs/n/n0698d01a7e50?sub_rt=share_pw

こちらでは、大好きな花王について、別の切り口で考察させていただこうと思います。
同じくnoteで考察させていただいた、こういう側面の切り口からであります。
https://note.com/commodvs/n/n401fd695307d?sub_rt=share_pw

いったい、名経営者と呼ばれたほどの人物も、何故しばらくすると通用しなくなるのでしょうか。

才能が枯れるわけではありません。時代の読みが急に鈍るわけでもない。多くの場合、原因はもっと地味なところにあります。自分が正解を出した方程式を、手放せなくなる。たぶん、それだけのことなんです。

130年もの間、日本を代表する大消費財メーカーとして存在感を示し続ける花王の社史は、そのことをひたすら繰り返してきた歴史でもあります。ただ同時に、その罠に気づいた経営者が、そのたびに会社を作り直してきた歴史でもある。それが花王という会社の、たぶん一番おもしろいところです。

左)「創業者」長瀬富郎 / 右)「中興の祖」丸田芳郎

初代・長瀬富郎 倒産と紙一重の賭け

1890年、創業者の長瀬富郎がやったことを改めて整理すると、今から見ればかなり際どい話のオンパレードです。新しく調合した化学薬品を自分の皮膚に直接塗って品質を確認した。顔が腫れ上がっても続けた。利益のほぼ全額を新聞広告に注ぎ込み、パッケージに全額返金保証を同梱する。倒産と紙一重の賭けです。

成功したから美談として語り継がれていますが、消費者と直接つながるダイレクトマーケティングの先駆けという評価は、後から付いた名前。当時の判断はもっとシンプルで、「信じて全部張った」、それだけだったと思います。

まさに、アントレプレナーシップの塊のような方だったんですね。

二代目・長瀬富郎(初代の実子) 情熱が計画を追い越した時代

初代と同じ「長瀬富郎」という名を持つ二代目も、父と同じ精神を受け継ぎ、昭和7年に花王シャンプー、昭和9年にビーズを発売して連続でヒットを出しています。同年、家事研究所を設立し、主婦たちの生活を観察し続ける仕組みも作りました。消費者を「見る」インフラを会社の中につくった先駆的な経営者でした。

ただ、熱意と計画は別物です。市場予測の甘さから返品の山を抱えた時期もある。創業家が陥りやすい罠——情熱が計画を追い越す——を、花王はこの時代に経験しています。

オーナー経営の強さと脆さを体現された、イケイケタイプの経営者だったようです。

三代目・伊藤英吉 守るだけでは時代に置かれる

戦後、同族外から初めて社長に就任した伊藤英吉は、焼け野原になった工場を復旧させました。統制経済の中で原料を調達し続けた実務能力は本物です。ただ、本質的に「守る人」でした。石鹸から合成洗剤へという世界的な移行が進んでいた時代に、次の布石が打てなかった。会社を存続させることと、成長させることは、同じではないですから。

日本には比較的多い、有能な実務家タイプの経営者の印象です。

四代目・磯部金一 情報の流れを自分で塞いだ

磯部金一は、高度成長の波に乗って業績を大きく伸ばしました。合成洗剤「ザブ」のヒット、設備投資の拡大、大量生産体制の構築。時代にうまく適応した経営者でした。同時に、営業第一路線の結果、問屋への依存を深めるにつれて、現場の販売データや消費者の声が経営層に届かない状態も作り出してしまっています。

P&Gが日本市場に参入してシェアを奪われ始めたとき、花王には正確な情報がなかった。倒産寸前の危機の原因は、外部の競合より、自分たちで塞いでしまった情報の流れにあります。

五代目・丸田芳郎 壁を壊した男の、もうひとつの顔

1971年に社長に就任した丸田芳郎は、絵に描いたような偉大なる「中興の祖」でした。

問屋依存の流通を解体し、小売店と直接取引する販売網を作った。大型コンピュータで販売データをリアルタイム管理するシステムを、社内外の猛反発を押し切って導入した。「役員室の壁をハンマーで物理的に破壊した」というエピソードは語り草ですが、情報の目詰まりを取り除くためなら権威の象徴も壊す、という彼の経営思想の要約でもあります。

その丸田が「丸田天皇」と畏れられた独裁者でもあった、というのはセットで語られるべき話です。透明な大部屋主義は、同時に全社員の行動を社長が常時監視できる場でもありました。異論を唱えた者は左遷される。そういう組織では、正しい情報より、上の顔色を読んだ情報が上がりやすくなります。

自らのデータ信仰が過信に転じた晩年、丸田はフロッピーディスク等の情報機器事業に巨額を投じました。結果は惨敗。独裁者の末期が自らの成功体験への固執で終わるというのは、どの時代も変わらないようです。

僕の周りにも、こういうタイプの、ずっと尊敬していた名サラリーマン経営者がいらっしゃいました。晩節は汚すためにあるのでしょうか…。

六代目・常盤文克 理論が判断速度を落とした

スタンフォードで研究経験を持つ理論家でした。僕も当時、著作を拝読したものです。「花王ウェイ」を言語化し、丸田の属人的なトップダウンを全社員型の知識共有へ移行させた功績は本物です。海外進出の道筋もつけました。

ただ、全員合意を求めるプロセスが、いつの間にか「会議のための会議」を量産するようになった。日本企業あるあるですね。

そして最大の問題は、丸田時代から引き継いだ情報機器事業の撤退判断を先延ばしし続け、後継の後藤卓也に押しつけた点です。カリスマからの脱却を掲げながら、実際には前任者の判断を否定できなかった。これも、よく耳にする、日本企業あるあるです。

後藤・尾崎・澤田・長谷部 財務優等生が直面する壁

後藤がフロッピー事業を清算し、尾崎元規がカネボウ化粧品を買収し、澤田道隆、長谷部佳宏へと経営が続いています。連続増配記録を維持し、財務の優等生として花王は機能してきました。

ただ現在、化粧品事業は迷走し、P&Gやユニリーバとのマーケティング競争で遅れが目立ち、中国市場でのシェアも急落しています。「よきモノづくり」という創業以来の言葉は残っています。ただ中身が変わりました。技術的に優れていれば売れるはずだという信念が、消費者の感情的な価値判断を軽視する空気を生んでいるのかもしれません。

初代が自らの肌を傷めながら掴んだ消費者の一次情報も、丸田が壁を壊してまで求めた現場のデータも、今は管理システムのダッシュボード上の数字として、整然と並んでいることでしょう。数字に変換されただけで、熱い血が流れていないのかもしれません。

130年を経てもなお、花王は花王であり続けている

花王の歴史を通じて見えるのは、ひとつの繰り返しです。経営者が正解を出した時代の方法論が、次の世代の足枷になる。丸田のシステムが常盤を縛り、常盤の合意主義が次世代の速度を削ぎ、「よきモノづくり」というDNAが現在の経営陣を縛っている。

きっと、サイクルの違いこそあれ、どこの会社にも見られる事象なのでしょう。

ただ、この会社が130年続いてきたのも、また同じ理由からだと思っています。磯部体制が行き詰まれば丸田が壁を壊し、丸田の独裁が硬直すれば、常盤が知識の共有へと舵を切った。そのたびに、誰かが自分たちの正解を問い直してきた。

初代が自分の顔に化学薬品を塗った行為の本質は、無謀さではなく「答えは自分の外にある」という確信だったはずです。丸田が役員室の壁をハンマーで壊した動機も、同じところから来ている。

今の花王にも、きっとその力は存分に残っているはずです。連続増配の記録でも技術力の証明でもなく、現在の経営陣が「よきモノづくり」という過去の正解を問い直す場面が、そう遠くない時期に来るのではないか。そのとき、花王はまた一度、自分で作った正解を自分で壊し、生まれ変わるのだと思います。

*本稿は花王株式会社の公式見解を代表するものではなく、あくまでも、公開情報をもとにした筆者個人の考察です。