発見される前提の事業運営へ ― エンタメで起きた変化を、自社の投資判断に翻訳する(CEOブログ)

供給過多は、エンタメだけの話ではない

Steamで2025年にリリースされたゲームは、非公式データベースSteamDBの集計で1万9,112本。前年の1万8,559本を上回り過去最高を更新しました。同じ集計で、レビュー数が0件の作品は1,711本から2,229本へ、1〜9件の作品は6,377本から7,098本へ増えています。2026年も7月3日時点で1万2,000本を超え、レビュー1,000件以上に届いた作品の割合は約2.76%です。供給が増え、認知される比率が下がる。

2026年上半期のSteamリリース本数と評価到達率|AUTOMATON・2026年7月

この形は、SKU数が増え続ける消費財、比較サイトに並ぶBtoBのSaaS、地域の中小事業者が一斉にECへ出た小売、資格を持つ士業の広告など、すでに多くの業種で起きていることと同じです。参入コストの低下が供給を増やし、顧客の注意時間は増えない。エンタメは、この現象が最も早く極端な形で現れる市場にすぎません。自社の商圏で「探されて見つかる」前提が崩れているかどうかは、業種にかかわらず点検の対象になります。以下、話題となったエンタメ事例をもとに考察していきましょう。

予測精度への投資から、発見速度への投資へ

「スイカゲーム」は、Aladdin X社のプロジェクター内蔵アプリとして2021年4月に配信され、同年12月9日にNintendo Switch版を240円で発売しました。リリース当初は話題にならず、ブームが起きたのは2023年秋、約2年後です。累計ダウンロードは2024年10月時点で1,100万を突破し、2026年3月時点でシリーズ累計1,300万を超えました。

スイカゲーム シリーズ累計1,300万ダウンロード|Aladdin X・2026年3月

経営判断として読むべき点は、ヒットの内容ではなく資源配分の順序です。企画審査の精度を上げる投資と、市場に出した後の反応検知と追加投入を速くする投資は、別の勘定です。前者は当たり外れの分散を縮めようとしますが、後者は外れの損失を小さいまま留め、当たりの上振れだけを取りにいきます。新商品、新サービス、新チャネルの数が多い事業ほど、後者の比率を上げたほうが期待値は改善します。

実務上の論点は三つあります。第一に、最小投入額をいくらに設定するか。第二に、追加投資に進む判定を誰がいつ行うか。第三に、判定に使う指標を事前に決めているか。多くの会社では第三が抜けています。反応が出てから稟議を回すと、初動の数週間を失います。

需要が跳ねた日の受け皿を、跳ねる前に用意する

M!LKは2014年11月結成、2015年3月にCDデビュー、2021年11月にメジャーデビューしたグループです。2025年3月発売のアルバム『M!Ⅹ』のリード曲「イイじゃん」がSNSで広がり、所属レーベルの公表値でSNS総再生数は27億回を突破しました。ここで見るべきなのは再生数ではなく、その時点で下積み時代の10年分の楽曲、メンバーの俳優活動、ファンクラブ、SNS資産が揃っていたことです。

M!LK プロフィール|ビクターエンタテインメント・2026年

一般事業に置き換えると、テレビ取材、業界紙の掲載、大手との取引開始、行政の採択、SNSでの言及。需要が突然増える契機は業種を問わず存在します。そのとき問われるのは、増分需要を受け止める在庫、生産能力、与信枠、採用速度、問い合わせ対応の体制です。受け皿がなければ、認知は競合の売上に変換されます。

ここは経営が事前に決められる領域です。想定の3倍の引き合いが来た場合に、何日以内にどこまで供給できるのか。増産の追加原価はいくらか。取引条件を変えずに受けられる上限はどこか。この試算を持たないまま広報予算を増やすのは、順序が逆だと考えています。

一度の到達より、残存と再購入で測る

Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」は2024年1月7日リリース、TVアニメのオープニング曲という入口を持ち、Billboard JAPANの2024年年間JAPAN Hot 100で首位、年間TikTok Songs Chartと年間UGC Songsでも1位、国別チャートでは5か国で首位を取りました。TikTokでの楽曲使用は2024年12月時点で380万件以上です。

2024年 年間JAPAN Hot 100|Billboard JAPAN・2024年12月

注目すべきは、UGC(利用者自身が作った投稿)の量が、到達数とは別の指標として集計されている点です。到達数と、到達した人が何をしたかを分けて測っています。一般事業でも同じ分解が使えます。広告の到達数と、資料請求、再訪問、紹介、口コミ投稿は別の指標です。

自社の管理会計で次の分解ができているかどうかが判定基準になります。新規顧客数、90日後の残存率、再購入率、顧客あたり紹介件数、自社ID保有率。この5つが月次で出てこない場合、マーケティング費用の効率は測れていません。売上高と広告費の比だけを見ていると、獲得単価が安く残存しない顧客を買い続ける状態に気づけません。

属人的な売上を、人がいなくても売れる形へ移す

エンタメでは、本人の稼働が売上に直結する形からライセンス収入へ移せるかが評価を分けます。ちいかわはSNS漫画からアニメ、商品、ライセンスへ広がり、2026年6月17日発表の「日本キャラクター大賞2026」でグランプリを獲得、2022年、2024年、2025年に続く通算4度目、史上初の3連覇で殿堂入りとなりました。劇場作品『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は2026年7月24日に全国447館で公開され、興行通信社の集計で公開17日に興行収入約67億7,000万円、動員約469万人に達しています。

映画ちいかわ 公開17日で興収67.7億円|MANTANWEB・2026年8月

この論点は、そのまま事業承継とM&Aの評価に接続します。創業者の営業力、特定の職人の技能、代表の人脈に売上が依存している会社は、買い手から見ると譲渡後に価値が減る資産です。デューデリジェンスでは、上位顧客の獲得経路、担当者交代時の継続率、業務手順の文書化率が確認されます。ここが弱いと、のれん計上額の交渉で不利になり、アーンアウト条項で対価の後払い比率が上がります。

売り手側の対策は明快です。譲渡を検討する2年前から、代表以外が受注した売上の比率を指標化し、四半期ごとに引き上げる。この比率は、買い手が最初に見る数字の一つです。

海外は「売上」ではなく「還流額」で見る

海外で人気が出ても、現地の商品化権、配信収入の分配率、顧客データの帰属によって、日本側に残る金額は大きく変わります。エンタメでは以前から論点になってきましたが、越境ECを始めた製造業、海外代理店に販売を委託した機器メーカー、現地パートナーと合弁を組んだサービス業でも同じことが起きます。

見るべき指標は海外売上高ではなく、海外で発生した最終消費額のうち自社の営業利益として戻った金額です。ここを測るには、代理店マージン、現地税、為替、ロイヤルティ料率、データ利用の対価を分けて把握する必要があります。契約書の再点検で改善余地が出る領域でもあります。

AIは試行回数を増やし、差別化の場所を移す

AIによって制作や開発の単価が下がると、一社あたりの試行回数は増えます。ただし競合も同じ効率化を行うため、供給がさらに増え、認知の難易度は上がります。Steamのリリース本数と評価到達率が逆方向に動いていることは、その先行事例として読めます。

したがって、AI導入の効果を「制作コストの削減額」だけで評価すると判断を誤ります。同じ期間に何案試せるようになったか、判定と追加投入までのリードタイムが何日短くなったか。この二つで評価するほうが、実態に合います。差別化は生成物そのものから、誰が作ったか、どの顧客と続いているか、どのデータを持っているかへ移っていきます。

Best/Worst/Most Likely

「小口で複数試し、伸びた案件へ追加投入する」方式へ移行した場合の見通しを整理します。前提は、既存の年間投資枠を変えず、配分方法だけを変更する場合です。

シナリオ想定される状態経営上の意味
Best試行数が3〜5倍、当たり案件の投入判断が数週間短縮。1件あたりの失敗コストは従来の数分の一損失は限定され、上振れは取り切れる。新規事業の期待値が改善
Most Likely試行数は増えるが、判定指標と決裁権限が未整備で追加投入が遅れる。小口案件が回収前に散在固定費だけ増え、収益貢献は限定的。1年目は横ばい
Worst撤退基準がなく、小口案件が全て継続。管理工数と在庫が膨張し、既存事業の人員を圧迫選択と集中の逆を実行した状態。営業利益率が低下

Worstを避ける条件は撤退基準の事前明文化であり、Most Likelyから抜け出す条件は追加投入の決裁権限を現場に近い階層へ下ろすことです。この二つは同時に決める必要があります。

リスクの指摘

最も見落とされやすいのは、試行数を増やす判断が管理部門の処理能力を超える点です。案件が5倍になれば、契約書レビュー、原価計算、在庫管理、与信、法務確認の件数も増えます。ここを増員なしで進めると、統制が緩んだ状態で件数だけが増え、単価の低い案件で重大なミスが出ます。件数を増やす前に、1件あたりの管理工数を下げる標準手順を用意することが先です。

第二に、指標の置き換えには時間差があります。残存率や再購入率は定義から半年以上経たないと意思決定に使えるデータが揃いません。指標を変えた直後の期間は、旧指標と新指標を併走させる必要があります。ここを一気に切り替えると、意思決定の根拠が一時的に消えます。

第三に、供給過多は自社の顧客側でも起きています。取引先の担当者も同じだけ情報過多です。提案の本数を増やすほど成約率が上がる前提は、すでに崩れている可能性があります。

明日から検討できる論点

自社で先に確認したい項目を、優先順に挙げます。

  1. 直近12か月の新規売上のうち、代表または特定の1名が起点になった比率はいくらか。数値化されていなければ、今週中に算出する
  2. 新規案件の最小投入額と撤退基準が文書化されているか。なければ、金額と判定時期と判定指標の3点を今月中に定める
  3. 引き合いが想定の3倍になった場合、何日以内にどこまで供給できるか。生産、与信、人員の3項目で上限を試算する
  4. 新規顧客数、90日後残存率、再購入率、自社ID保有率が月次で出るか。出ない指標があれば、集計の担当者と初回提出日を決める
  5. 海外取引がある場合、最終消費額に対して自社の営業利益として戻った比率を、契約単位で算出する

この5項目は、いずれも新規投資を伴わずに着手できます。順序としては1と2が先で、3以降は1と2の結果を見てから優先度を決めるのが現実的だと考えています。