【経営戦略考】「正しかった人間」が会社を殺す 〜 勝者の呪縛と、それを制度で解くための話 (CEOブログ)

1. 繰り返される「なぜ」に、まだ答えていない

ガラケー時代、日本のモバイル産業は世界最先端でした。iモードの加入者は4,000万人を超え、おサイフケータイはApple Payより10年以上早く実用化されていた。世界中から視察団が来ていたのは有名な話です。

iPhoneが出たのが2007年。ドコモがiPhoneを扱い始めたのが2013年。この6年の空白で、スマートフォン時代の主導権は競合2社に渡りました。

インターネット時代のテレビ局も、構図は同じです。広告費という巨大な収益源を持ち、コンテンツ制作では最強の組織を持っていた。それでも、YouTubeとNetflixの台頭に後手を踏み続けました。

こうした事例を前に、経営書は言います。「イノベーションのジレンマだ」「既存事業の防衛に走った」と。おっしゃる通りです。ただ、これは現象に名前をつけているだけで、「なぜ転換できなかったのか」のメカニズムには答えていないように思います。

もう一層、深く掘ってみます。

なお、本稿はこちらの考察のマニアック補強版になります😄
https://note.com/embed/notes/n401fd695307d


2. コダックが教える「正しかった人間」の毒性

世界で初めてデジタルカメラを発明した会社はどこか、ご存知でしょうか。コダックです。1975年のことです。エンジニアのスティーブ・サッソンが社内で試作機を完成させ、上司にデモをしました。反応は「かわいいおもちゃだ。でも誰にも言うな」。

コダックはデジタル関連特許を1,000件以上保有していました。技術も特許も資金も、すべて持っていた。それでも2012年に破綻しました。

なぜか。フィルム事業で成功してきた人間たちが意思決定の中枢にいて、デジタル事業の本格展開を「フィルムの収益を食う」という理由で内部から封印し続けたからです。

これはコダック固有の話ではありません。

ヤフーは1998年にGoogleから100万ドルでの売却を打診されて断り、2002年には自らGoogleに30億ドルを提示したもののGoogleが50億ドルを要求して交渉決裂。その後Googleの時価総額は2兆ドルを超えました。2008年にはMicrosoftから460億ドルの買収提案を受け、「自社の価値はそれ以上だ」と断り、最終的に2016年にVerizonへ48億ドルで売却されました。ポータルサイト時代に正しかった人間の感覚が、判断を歪めていたとしか言いようがありません。

ブロックバスターは2000年、Netflixから5,000万ドルでの買収提案を受け、CEOがほぼ笑って断ったと言われています。「あんなDVD郵送の会社に何の価値がある」と。店舗網という前時代の成功資産への確信が、未来を見えなくさせていました。

これらに共通するのは、意思決定をした人間が「愚か」だったわけではないという点です。彼らは前時代においては、本当に正しかった。だからこそ組織の中枢に上り詰めた。そして、だからこそ時代の変化を認識できなかった。


3. 成功体験は「制度」になる——GEが示した恐怖

ジャック・ウェルチ時代のGEは「世界最強の経営」と呼ばれました。在任20年間で株価は約28倍。製造業からGEキャピタルという金融部門を育て上げ、2008年時点で連結収益の約4割を金融から稼ぐ構造を作りました。

ウェルチの経営手法——「No.1かNo.2でなければ撤退する」「下位10%の社員を毎年解雇する」——は、GEの制度として組織全体に埋め込まれました。そしてこれらの手法で評価され昇進した人間が、組織の上位を占めるようになった。

後継のジェフ・イメルトがCEOになったのは2001年です。金融危機が来て、GEキャピタルが重荷になった。製造業の競合環境も様変わりした。イメルトは16年間CEOを務めましたが、在任中にGE株は約30%下落、時価総額にして約1,500億ドルが消失しました。同期間にS&P500は約124%上昇しています。

批判の核心は「ウェルチ時代の成功手法を、時代が変わっても構造として手放せなかった」というものです。GEキャピタルへの依存を早期に断ち切れなかった。ウェルチ流の評価制度が「既存事業の最適化が得意な人材」を量産し続けた結果、イノベーターが育たなかった。

組織の成功体験は、人事・評価・文化・制度として「コード化」されます。個人を入れ替えても、このコードが残っている限り、同じような判断が繰り返されます。GEの事例が示す恐怖は、ここにあります。


4. 投資会社転換も、思ったほど機能しない理由

「それなら、前時代の収益を資本にして純粋な投資会社に転じればいい」という発想があります。一見、合理的です。

ただ、これも思ったほどうまくいかない事例が多い印象です。

理由はシンプルで、投資判断もまた意思決定だからです。「何に投資するか」「どのステージで入るか」「いつ撤退するか」——これらの判断は、前時代の事業感覚を持つ人間には構造的に難しいところがあります。

投資会社として機能するには、純粋な投資の論理だけで動ける人材が必要です。しかし、前時代に事業で成功した組織の中に、そういう人材が育っていることはごく稀だからです。

さらに日本では、もう一つの問題があります。解雇の難しさです。

経営転換の局面で欧米企業が大規模なリストラを断行できるのに対して、日本企業は前時代の成功者を容易には切れません。彼らは部長として、顧問として、子会社の社長として、グループ内の委員会メンバーとして残り続けます。そして新しい投資案件や事業開発の意思決定に、当然のように参画し続ける。

どんなに革新的な提案も、前時代の論理でスクリーニングされる構造が続きます。余計な人間を抱えたまま投資会社に転じることの難しさは、ここにあると思っています。


5. それでも生き残った企業に共通する「制度的な工夫」

残酷な統計があります。1955年のFortune 500のうち2019年時点でリストに残っているのはわずか52社。約9割が消えました。S&P 500の平均在籍期間は1965年の33年から2026年には14年に短縮する見通しです。

それでも確かに、生き残った企業はあります。

IBMは1990年代初頭、破綻寸前でした。ルー・ガースナーがCEOに就任し、「IBMはサービス会社になる」と宣言した。2004年には象徴ブランドだったThinkPadをLenovoに約17億ドルで売却しています。「コンピュータの会社」として成功してきた人間には、感情的に受け入れがたい決断です。ガースナーが外部招聘のCEOだったことが、この決断を可能にしました。

日立は2009年に国内製造業史上最大の7,873億円赤字を計上した後、川村隆氏が社長に就任。2012年までに取締役会の過半数を社外取締役化しました。現在は取締役12名中9名が社外、うち5名が外国籍です。「空気を読む、忖度する、先送りする」が機能しない取締役会を、意図的に設計したわけです。前時代の論理を持つ内部者が意思決定を染めるリスクを、構造として遮断しています。

ノキアはモバイル端末でiPhoneに完敗しましたが、会社は死にませんでした。2013年に携帯電話事業をMicrosoftへ売却し、通信インフラ事業に軸足を切り替えた。2024年時点で5G Standalone Core分野では顧客数・稼働数ともに業界首位を維持し、5G RAN機器市場でも約17%のシェアを持つ主要プレイヤーとして生存しています。「死んだ枝を素早く切り、生きている枝に全力を移す」。これを実行できた数少ない例です。

富士フイルムは写真フィルム市場の消滅に直面して、ヘルスケア・材料・医薬品領域へM&Aを積極展開しました。富山化学を約1,300億円で買収するなど、「自社技術の転用」という概念論を超えて、事業ポートフォリオを大胆に組み替えた。

これらに共通するのは3点です。

第一に、象徴的な主力事業を市場に殺される前に自分で葬ったこと。 IBMのThinkPad売却、ノキアの携帯電話事業売却、日立のテレビ事業撤退。いずれも「会社の顔」に自分で引導を渡す決断でした。愛着が意思決定を曇らせることを、意志と制度で防いでいます。

第二に、「前時代の論理」を意思決定層から制度的に排除したこと。 日立の社外取締役過半数化、IBMの外部招聘CEO。前時代の成功者が意思決定を染めるリスクを、構造として遮断しています。

第三に、改革の方針を複数代のリーダーに継承したこと。 日立は川村→中西→東原→小島と10年以上継承しました。IBMもガースナー→パルミサーノ→ロメッティ→クリシュナと30年近い継承が続いています。後継者が「自分の色」を出すために前任者を否定し始めた瞬間、企業は死に向かいます。


6. 死の予兆として機能する、4つのサイン

教訓を裏返すと、覇権企業が死に向かうサインが見えてきます。

主力事業が「会社の誇り」として神聖化され、処分の議論が禁忌になっているとき。CEOが社内政治を気にして単独決断ができなくなっているとき。後継CEOが前任の方針を否定し、揺り戻しが生じているとき。不採算事業の整理が進まず、事業構成比が硬直化しているとき。

このサインのうち2つ以上が同時に出ているなら、次の10年は楽観できないと思います。経営陣はこの診断を、半年ごとくらいに繰り返してみる価値があります。


7. 問うべきは「誰を昇進させるか」ではなく「誰に決定権を与えるか」

最後に一点だけ。

「正しかった人間」と「次の時代に正しい人間」は、ほぼ別人です。

これは能力や努力の問題ではありません。時代が変わることで、「何が正しいか」の定義そのものが変わる。前時代に最適化された判断力は、次時代においては「誤りを犯す力」として作動してしまいます。

だとすれば、問うべきは「誰を昇進させるか」ではなく、「誰の声に、どこまでの決定権を与えるか」の設計ではないでしょうか。そしてその設計は、危機が来てからではなく、成功の絶頂期にこそ始める必要があります。

繁栄の最中に、自らの死を想像できる組織だけが、その死を少し先送りできる。哲学的ですが、そんなふうに思っています。