「◯◯市場は○兆円」という資料を渡されたら、経営者は何を疑うべきか(CEOブログ)
新規事業やM&Aの検討資料には、たいてい市場規模のスライドが一枚挟まっています。「対象市場は○兆円、CAGR○%」という、あの一枚です。
今回はホラーというエンタメ業界の一領域を題材に、市場調査レポートの数字を経営判断にそのまま使うことのリスクを、具体的な事例で検証していきます。エンタメに縁のない業種の方でも、新規事業の投資判断や競合分析の場面でそのまま応用できる話です。
同じ「市場」で数字が数倍違う、という珍しくない現実
今回、ホラーコンテンツという一領域について、複数の民間調査会社が発行している市場規模レポートを横並びで確認してみました。
結果、「Horror Film and TV Show Market」という同一名称の市場について、2024年時点の市場規模だけで81億ドルから128億ドルまでのブレが出ています。CAGR(年平均成長率)も調査会社によって4%台から8%台まで幅がありました。ゲーム分野の「Immersive Horror Games Market」に至っては、同じ2025年という年で25億ドルから227億ドルまで、実に9倍の開きです。
これは特殊な事例ではありません。この手の市場規模レポートを発行しているベンダーは、対象範囲(広義/狭義)、算出手法(トップダウンかボトムアップか)、地域の切り方が会社ごとに異なります。定義が違えば数字が違うのは当然で、調査会社を一社だけ見て意思決定するのは、決算書を1期分だけ見て投資判断するのと近い危うさがあります。
クロスチェックにおける実務上のチェックポイント
市場規模資料を受け取った際、私が実務で確認している着眼点は次の4つです。
- 発行元は一社か複数か。複数の独立した調査会社の推計が近い範囲に収まっているかを確認する
- 対象範囲の定義(広義・狭義)が、自社が参入しようとしている領域と一致しているか
- 算出手法がトップダウン(上位市場からの按分)かボトムアップ(積み上げ)か。ボトムアップのほうが検証しやすい
- 予測部分(CAGR)の前提条件が開示されているか。前提が書かれていない予測は参考程度に留める
このうち最も見落とされやすいのが、複数ソースでのクロスチェックです。今回のホラー市場のように、同じ名称の市場で数字が数倍違う状態であれば、その市場規模自体を投資判断の根拠にすることはできません。むしろ「この業界には信頼できる統一統計が存在しない」という点そのものが、重要な情報になります。
実測できる個別指標に置き換える
市場規模の丸めた数字が使えない場合、代わりに見ているのは、個別に実測できる指標です。ホラー領域で言えば、次のようなものが該当します。
米国NRF(全米小売業協会)は2025年のハロウィン関連消費が過去最高の131億ドルに達すると発表しています(NRF Consumer Survey Finds Halloween Spending to Reach Record $13.1 Billion|NRF・2025年9月)。前年の116億ドルから約13%増、これは政府系ではないものの、8,000人超の消費者調査に基づく一次性の高いデータです。
日本国内でも、インテージが公表した2025年ハロウィン市場規模(1,673億円、前年比93.0%)は、5,000人規模の自社調査に基づく一次データとして扱えます(ハロウィン 参加者減少も平均費用1.1倍で二極化か|インテージ・2025年10月)。
北米の映画興行に占めるホラーのシェアも、ボックスオフィス分析サイトThe Numbers調べで2025年は12.1%(2024年9.8%から上昇)と、実測ベースで確認できます。市場調査会社の推計が数倍のブレを見せる一方、興行収入や消費者調査といった実測データは、出典を追えば数字の再現性が担保されます。
のれん評価に潜む同じ罠
この「市場規模の数字がベンダーによって数倍違う」という問題は、M&Aにおけるのれん(買収額と純資産の差額)評価とも直結します。
買収対象企業が「対象市場は○兆円、当社シェアは○%」という説明資料を提示してきた場合、その市場規模の出典を必ず確認する必要があります。出典が単一の民間調査会社であり、かつ他社の推計と大きく乖離している場合、その市場規模を根拠にした将来キャッシュフロー予測や、のれんの減損リスク評価そのものが崩れる可能性があります。
日本ゲーム企業のIPを例に挙げると、カプコンの『バイオハザード』はシリーズ累計販売本数2億100万本(2026年3月期決算)、最新作は発売後最速で600万本を突破しています(『バイオハザード』シリーズ累計販売本数が2億100万本を記録|ファミ通.com・2026年5月)。
この種の数字は決算資料という一次ソースに基づいており、市場規模レポートとは信頼性の階層が異なります。買収検討時のビジネスデューデリジェンスでは、「市場規模の予測」よりも「対象企業自身の実績数値」を優先して評価軸に据えるべきというのが、ここから導ける実務上の教訓です。

Best/Worst/Most Likelyで見る、市場規模資料への依存度
| シナリオ | 市場規模資料への依存度 | 想定される結果 |
|---|---|---|
| Best | 実測データ(決算・興行収入・消費者調査)を主軸に、市場規模はレンジ感の把握のみに使用 | 投資判断の再現性が高く、外部説明にも耐える |
| Most Likely | 市場規模資料を主軸としつつ、複数ソースでクロスチェック | 大きな誤りは避けられるが、算出手法の違いによる誤差は残る |
| Worst | 単一ベンダーの市場規模資料をそのまま投資判断・企業価値評価に転用 | 前提が崩れた際にのれん減損や事業計画未達に直結する。致命的リスク |
大きなリスクとして明記しておきたいのは、Worstのケースが実務では珍しくないという点です。特に新規事業の稟議資料では、都合の良い市場規模の数字を一件だけ引用し、複数ソースでのクロスチェックを省略するケースが少なくありません。

読者自身の会社で、明日から検討できる論点
自社が保有している資料の中に「市場規模○億円、CAGR○%」という一枚があれば、まずその出典が単一の調査会社かどうかを確認してみてください。単一であれば、同じ名称の市場について別の調査会社の数字を最低一社分探し、桁が近いかどうかを見るところから始められます。
数字が近ければ、その市場規模はある程度の信頼を置いて良い水準にあります。数字が数倍違えば、それは「この業界にはまだ統一された物差しがない」という情報そのものであり、投資判断は市場規模ではなく、対象企業自身の実測数値(売上・契約数・興行収入・会員数など)を軸に組み立て直す必要があります。


